恐ろしい生き物 2007/04/06  

テレビのニュースでハンセン病資料館がリニューアルオープンしたことを報じていました。
ハンセン病を題材にした「ヒイラギの檻(瓜谷修治著)」を読んで1996年まで続いていた隔離政策に唖然とした記憶があります。

場所は東京都東村山市、最寄の駅は武蔵野線新秋津。
思い立ったら即行動です。
自宅を11時半に出発して13時半にはもう新秋津に到着。
こんな近い場所にハンセン病の療養所があったとは。

正式な名称は、国立療養所多磨全生園
新秋津駅からバスに乗って全生園前で下車、サクラが満開の園内をウロウロしながら園を横断して資料館を目指します。

園を横断したところに納骨堂がありました。静かに合掌。
納骨堂のすぐ裏手の建物が国立ハンセン病資料館です。
入口に遍路姿の親子の銅像がありました。
世間の目を避けて「おせったい」を頼りに放浪する親子の像、松本清張の砂の器では主人公の不遇の生い立ちを象徴するシーンに使われていましたが、まさか現実にあったとは。

展示を見ていると横にいた人が、「入所して死んだ人の遺骨はほとんど引き取り手が無かったが、引き取り手が現れても近所の目があって家には持ち帰れず、電車の窓から捨てられていた」、そんな地元の話を聞かせてくれました。

子供たちの運動会を写した写真が展示してありました。
入所者は子供を生むことは禁止されていたそうで、運動会をしてるのは隔離された子供達です。
全生園とは、入所したら一生出ることは無く「生を終えるまで」いる場所を指して名付けられたそうです。
写っている子供達、その親達はどんな思いだったのでしょうか。

当時は12畳に8人が住み、園内では男性が女性のところに通う、通い婚が許されていて、夜になると一部屋の中で何組もの男女がちゃぶ台で仕切って夜の営みをしていたそうです。
そして子供ができないように男性は断種、できてしまえば中絶。
それでも生まれた子供は100体以上も標本にされたそうです。
法律まで作って患者を強制的に入所させて死ぬまで隔離して根絶やしにする、こんなことを国の政策として実行する人間はほんとうに恐ろしい生き物です。

群馬県の草津町の療養所、栗生楽泉園にあった独房(重監房)が再現されていました。
最長30日が規則のところ31日目に一旦出してまた入れることも頻繁にあったそうで、500日以上も入れられた人もいたそうです。
氷点下17度になる独房に延べ92人が収容されて22人が無くなったそうです。
私も入って見ましたが、収容者が壁に書いた暦が無言で辛さを訴えている気がしました。

頭の中が真っ赤になってしまいました。
外に出て見ると沿道にヒイラギの垣根が延々と続いています。
「ヒイラギの檻」では、垣根の隙間から出た患者を逃亡者と呼んだ某大手の新聞記事が出ていました。
昔は高さが3mぐらいあったそうで、ヒイラギの垣根が現世と地獄を分けていたのでしょうか。
満開のサクラがやたらと悲しい景色に見えた一日でありました。